政治家の涙、信用できぬ理由

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・最近、謝罪会見などで涙を流す政治家が増えたものの、ネット上では批判が集まっています。
・昔の政治家は決して表では泣かず、裏で静かに泣いている人が多かったです。
・大変なのはあなただけではないという気持ちが、政治家の涙に批判的にさせる可能性があります。

 

正直言って、ほとんど共感できない。政治家が謝罪記者会見などで流す涙のことだ。河野太郎防衛相(57)は6月下旬、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入断念を表明した際、急に目元に涙を浮かべた。また最近では、前法相で衆院議員の河井克行被告(57)と妻で参院議員の案里被告(46)の公職選挙法違反事件に関し、地元広島県内の市議などが「現金を受け取った」と認め、涙ぐんでいた。泣きたいのは1票を投じた有権者のほうだろう。そもそもなぜ政治家はこんなに泣くのだろうか。泣けば同情されると思っているのか? はたまた演技なのか? 真剣に考えた。

https://mainichi.jp/articles/20200718/k00/00m/010/014000c

 

政治家が謝罪に追い込まれることがあります。記者会見で、政治家がカメラの前で涙を流して謝罪する姿に、共感できない人たちがいます。普通、涙を流せば、同情を誘うことができますが、政治家の場合は真逆に作用し、泣いている場合か、芝居ではないか、こちらが泣きたいぐらいだと指摘され、厳しい批判に晒されます。では、昔から政治家は泣いていたのか、実際のところ、政治家が泣くようになったのはここ20年ぐらいのことのようです。

 

 

昔の政治家は人前では決して泣かず、泣くとしてもカメラなどがいない場所で泣く、それが普通だったと言います。昔から生きる人ほど、人前で泣こうものなら、泣くな!と逆に叱責されて火に油を注ぐこともあります。泣かせといて泣くなと叱責するのはどうかと思いますが、その気持ちはわからないでもありません。

共感できないのは当然で、何を勝手に泣いてるの?としか見ている側は思いません。こっちが泣きたいぐらいだよという意見が目立つのは、みんな苦しく泣けるものなら泣きたい、同情してほしい気持ちがあるからです。少なくとも謝罪に追い込まれて泣くというのは、どこか自分しか見えておらず、人のことは見てない現れでしょう。