生徒の暴走、事件化NGの風潮

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生徒から暴力を受けて後遺症が残るほどの重傷を負った教師。職場は事件にノータッチで、自ら警察に被害届を出すと、教育関係者から非難されたという。そんな教育界の風潮について、作家・演出家の鴻上尚史さんが苦言を呈する。

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●先生の悩み

 私は小学校教員免許を持ち、学校の教壇にも立っていました。現在フリースクールの教員です。昨年まで児童館にも勤務しており、業務中に小2男児にバットで側頭部から頸部を殴られました。打撲で首の神経や脳に後遺症が残り、右耳の聴力をほぼ失いました。PTSDになり心療内科に通っています。そのため、常勤職を諦めざるを得なくなりました。

 加害児童の親子からは、謝罪や賠償金はありません。職場では通報してもらえず、自分で警察に被害届を出しました。加害児童は傷害罪として児童相談所に送致され、その後は家庭裁判所の保護的措置になったと聞いています。

 しかし、教育関係者が集まる交流会では、事件を「単なる事故」と切り捨てられ、「児童が感情をむき出しにするのはむしろ良いこと」「小学生をなぜそこまで追い詰めるのか」と逆に非難されてしまいました。

 他にも、児童から激しい暴行を受けて我慢している先生の話はいろいろ耳にします。教育現場であっても、子どもであっても、「暴力は犯罪」という認識がもっと広がるべきではないでしょうか。(20代女性教員、大阪府)

●鴻上さんの答え

 文科省の調査によれば、小学校の児童による「対教師暴力」は、3628件にのぼるそうです(2016年度)。このケースに限らず、「教育者たるもの、被害者になるべきでない」とか、「警察に頼るべきでない」「毅然と対応すべし」とかいうのは精神論でしかない。それが通じた時代はもう終わっています。今は社会を取り巻く環境が変わっている。たとえ加害者が児童であったとしても、後遺症が残るほどの暴力は犯罪なんだと、もう認めていかないと。子どもからの暴力がうやむやになり、先生が疲弊し学校に良質な人材が集まらなくなって一番困るのは、子どもたちです。

 学校で起こったことは犯罪と言わない傾向にあるけど、言葉の綾というのは、時に恐ろしい結果を招く。例えば「いじめ」という言葉。この言葉の多用には功罪がある。いじめと呼ぶことで問題を明るみに出せるようになったのは正の側面。一方で、「激しいいじめですね」とかいって終わったことが、実態としては恐喝と暴力の連続だったりして、「それは犯罪でしょう!」ということもあります。それが負の側面。

 学校を聖域にして社会のルールから外すのではなく、暴力があった場合には、警察をはじめとする外部の風を当てる。そんな当たり前のことを実行していくべき時代だと私は思います。

 

引用元

https://dot.asahi.com/aera/2018120600040.html?page=1

単なる事故で処理されてしまうのは、厳しいですよね。

なぜ事件にしないのだろうか気になる部分ですね。